夜七時

2025-09-12

労働者から見た、リモートワークのつらさの本当の原因

リモートワークが普及して数年が経ち、働き方の選択肢が広がったはずなのに、なぜか多くの労働者が息苦しさを感じている。表面的には「通勤がない」「自由な環境で働ける」というメリットがあるはずのリモートワークで、なぜ私たちはこんなにもつらいのだろうか。

監視という名の「安心」システム

「フルリモートでの雇用契約で、監視ツールを入れられるのは普通のこと?」

この質問から始まった思考は、現代労働の本質的な問題にたどり着く。監視ツールの導入は、企業にとっては「生産性確保」や「労働時間把握」のための合理的な判断かもしれない。しかし労働者側から見れば、それは24時間体制の「見えない牢獄」の始まりでもある。

内なる監視者の誕生

最も恐ろしいのは、実際の監視よりも「監視されているかもしれない」という意識が生み出す自己監視だ。パノプティコン効果と呼ばれるこの現象は、私たちを自分自身の看守に変えてしまう。

  • 本来自然なリフレッシュ時間が「サボり」に感じる
  • 集中力の波があることを「意志薄弱」だと自己批判する
  • 人間らしいリズムで働くことに罪悪感を感じる

リモートワークの孤立感が、この傾向をさらに増幅する。同僚の実際の働き方が見えないため、「みんな真面目に働いているのに、自分だけが不真面目なのでは」という錯覚に陥りやすくなる。

曖昧な「成果」という呪縛

「成果で評価する」と言いながら、その「成果」の定義が曖昧なことも大きな問題だ。特に日本の職場では、明確なKPIよりも上司の主観的な印象が評価を左右することが多い。

成果インフレーションの罠

現代の「成果主義」は、しばしば歪んだ形で解釈されている。本来は「決められた業務を確実にこなすこと」も立派な成果のはずだが、現実には:

  • 既存業務の安定した遂行は「当然」扱い
  • 常に「プラスアルファ」が求められる
  • 100点が当たり前で、120点が「成果」とされる

この「成果インフレ」は、働く人に常に「もっと、もっと」というプレッシャーを与え続ける。

ブルシット・ジョブという現実

人類学者デヴィッド・グレーバーが指摘した「ブルシット・ジョブ」(社会的に無意味な仕事)の存在も、リモートワークのつらさと密接に関係している。

実際のところ、多くの労働者は「一日の半分は仕事と関係ないことをしている」のが現実だ。これは怠惰ではなく、多くの仕事が本質的に無意味だからかもしれない。

意味を感じられない労働の苦痛

技術進歩により、人類が生存に必要な労働は大幅に減った。しかし雇用を維持するために、人工的に仕事が作られ続けている。その結果:

  • 本当に必要な労働時間は実際には短い
  • でも8時間働いている「フリ」をしなければならない
  • 意味を感じられない作業に時間を費やす苦痛

リモートワークでは、この「演技」がより困難になる。オフィスなら「忙しそうに見える」ことができたが、自宅では自分自身との対話が避けられない。

「強制参加型ゲーム」としての労働

現代の労働は「強制参加型ゲーム」に似ている:

  • レベルアップ(昇進)、ポイント獲得(給与)、ランキング(社内序列)
  • 運要素が大きく影響する
  • ルールが曖昧で頻繁に変わる
  • しかし「嫌なら参加しない」という選択肢はない

このゲームで良い成績を残した者が「優れた人間」とされる価値観は、人間の多様性を否定している。本来なら:

  • ゲームが得意な人は競争を楽しめばいい
  • アートが好きな人は創作に専念すればいい
  • 人と関わるのが好きな人はコミュニティ支援をすればいい

しかし現実には、全員が同じ「仕事ゲーム」のルールで評価される。

「静かな退職」への誤った批判

最近話題の「静かな退職」(Quiet Quitting)を「問題」として扱う風潮も、労働者の視点から見れば疑問だ。

静かな退職の実態は「職務記述書に記載されたタスクに限定して働くこと」、つまり契約通りに働くことに過ぎない。それを問題視するのは:

  • 労働者:「契約通りに働く」→ 健康的で合理的
  • 経営者:「無償の追加労働が減った」→ 「問題だ!」

という構図の現れだ。

昭和時代の植木等の「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」が示すように、本来は「適度に働いて適度に稼ぐ」が健全な労働観だったはず。それが今では特別な名前をつけられ、まるで問題行動のように扱われている。

個人の問題か、環境の問題か

「情熱を持って働けない」「やる気が出ない」といった問題は、しばしば個人の責任として処理される。しかし人間は環境に大きく影響される存在だ:

  • 監視される環境 → 萎縮と創造性の低下
  • 曖昧な評価基準 → 常に不安で情熱を注げない
  • 無意味な仕事 → 仕事への意味を見出せない
  • 成果インフレ → 常に「足りない」感覚

これらの環境的要因を放置して、個人の「意識の低さ」として片付けるのは問題の本質を見誤っている。

失われた豊かさ

産業革命以前の人々は、お金のかからない豊かさを知っていた:

  • 歌、踊り、物語の語り合い
  • 季節の祭りや収穫祭
  • 共同作業を通じた絆の形成
  • 自然との関わり

現代社会は、これらの楽しみを分解して「販売」している。確かに「他者という面倒事」からは解放されたが、今度は金を払わないと楽しめなくなった。子育ての場面でも、自然と戯れるのに有料施設が必要な時代になってしまった。

本当の解決策は何か

リモートワークのつらさは、働き方の問題というより、現代社会の労働観そのものの問題だ。技術的には既に「週4日勤務」や「4時間労働」でも生産性を維持できることが実証されている。にもかかわらず、なぜそれが実現しないのか。

それは、労働時間の短縮が「多くの仕事が無意味だった」ことを露呈してしまうからかもしれない。社会全体の「働くことに意味がある」という神話を揺るがすからかもしれない。

まとめ:多様な働き方への道

リモートワークのつらさを解決するためには、表面的な制度変更だけでは不十分だ。必要なのは:

  1. 明確で公正な評価基準の確立
  2. 人間らしいリズムで働く権利の確認
  3. 多様な働き方・生き方への理解
  4. 意味のある仕事への集約
  5. 個人の選択を尊重する文化

労働者一人ひとりが「契約通りに働き、人間らしく生きる」ことを当たり前の権利として主張していく。それが、真にゆたかな社会への第一歩なのではないだろうか。


この記事は、リモートワークを経験する多くの労働者の声を代弁するものです。あなたの経験や思いがあれば、ぜひコメントで共有してください。

永井 大介

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